前期の区切りの8月 Part1。
夏期講習も前半戦が終わり、大事な模試がやってきた。
第一回東大実践である。
4月の初めからこの模試を目標にやってきたので、ついにきたか、といったかんじであった。
結果はたしかC判定。
思ったよりも得意だった物理化学ができなくて(たしか20-30点くらい)、あまり判定がよくなかった。
しかし4月からまじめに勉強してきた国語の成果がでたのか、英語の初めの要約問題では少ない時間で満点を取ることができたことは良かった。
古文は短期集中で詰め込んだマドンナ古文常識がかなりきいて、それ以前よりも圧倒的に古文が読みやすくなった。
東大実践までは前期の復習に注ごうと決めていたので、とりあえずこれまでの夏期講習にやったことを整理する。
*物理化学などはある程度現役の時に完成していたのであまり勉強しなかった代わりに、1講座だけとってその期間(4日間)短期集中で勉強しまくった。
*余った時間は(前期の目標であった)英数国の苦手克服の時間に使った。
*7月の初めに1日遊んだので、それ以降は休みなし。1日12時間を目標に勉強して実質10時間は勉強した。
*電車移動中は単語帳(マドンナ古文常識、駿台の古文単語、鉄壁)
もちろんすべてのことをスムーズにできたわけではなく、どうでもいい悩みをうだうだ考えながら勉強していたりもしたが、とりあえず量はこなそうと思って頑張った。
今日の一言:調子良いときは勉強しよう。調子悪い時も勉強しよう。
それと初めにも断っておいたが、私は国立落ちた勢でいわゆる失敗(?)の部類の浪人生だったので、ちょっとでも参考程度に読んでいただけると嬉しい(反面教師にしてくれてもいい)。
大切なのは、いろいろな意見を(とりあえず)きいて、自分で考えていくことだと思う。
夏期講習が始まった7月 Part2。
7月の夏期講習も終わりに差し掛かっていた。
だんだんと意味も分からず気分がどんよりとしてきた。
友達としゃべる機会がなかったからだ。
ただでさえ駿台に友達のほぼいなかった私だが、クラスに2.3人、ほかのクラスに高校の同級生が何人かいたため、全く言葉を発さない、といった週はほぼなかった(もちろん行ってきますの後話す言葉がただいまの日はたくさんあった)。
しかし、夏期講習は基本友達と一緒に受けるものではないため、友達は周りにいなく、だれとも話さないのが普通であった。
するとだんだん気持ちが沈んでいき、モチベーションが下がっていった。
今日の一言:浪人では、一緒に話す友達がいなくても、耐えよう。心配しなくてよい。
誰ともしゃべらなかったこの時期は一生友達ができないんじゃないかと本気で思ったこともあったが、そんなことはまったく気にしなくていいということは現役大学生の私が保証する。
むしろそれがやりやすいなら友達はあまり作らない方がいいんじゃないかとさえ思う(実際同じクラスの進学校組は勉強とは関係ないところでいろいろ面倒くさそうであった)。
なにか思い悩むことがあったら、受験が終わった三月の自分が後悔しない方の選択をしよう。
夏期講習が始まった7月 Part1。
7月の初めに前期の授業がすべて終わり、丸一日だけ一緒に浪人していた高校からの友達と遊んだ後、A~I期間くらいに分けられた夏期講習が始まった。
確か全部で8講座くらい受けた気がする(入試数学の盲点、物理特講1、化学特講1、ハイパー数学3、理系医系のための古文、点が取れる現代文スペシャル、語法と読解)。
このうち6個は普段通っていた横浜校を離れて、わざわざお茶の水校まで受けにいった(いい気分転換になった。気持ちが沈んでいた時に東京駅の大きい広場で何十分も座ってぼーっとしていたりしたこともあった。)。
基本的に夏期講習期間中にやろうと決めたことは
1前期の授業の復習
2それまでの模試の復習
3夏期講習の受講&復習
4苦手科目の克服
だった。
しかし実際に満足に実行できたのは一個もなかった。
それでも(主に1と3を中心に)時間の許す限り勉強しまくった。
夏期講習から帰ってきたら大体14:00(電車移動中は携帯を一回も見ずに単語)。
そこから速攻で昼飯を食べ、カフェイン(コーヒー、エナジードリンク)をとり、15~30分昼寝をしてから22:00まで勉強し続ける生活を延々と繰り返した。
正直、夏に後悔したとかいう話はよく聞くが、私は(学力が伸びたかどうかは別として)完全にやり切った自信がある。マジで勉強しまくった。
今日の一言:授業のない夏こそ、毎日同じ生活習慣で過ごそう。
毎日気分によってやることを変えるのはよほどの天才でない限り危険だと思う。
私のように夏の初めにやることをリスト化して常にやらなければならないことを作っておくと、充実した夏が過ごせる気がする。
スケジュールを作る時間をとるくらいなら勉強していたいと思ってる人、現役時代それでやらかしている私からすると半端なく非効率的だから考え直すことをすすめる。
夏が近づいてきた6月。
この月は模試もなく(あったっけ?)、夏期講習前最後の追い込み的なイメージしかないが、一つだけ記憶に残った日がある。
その日は火曜日でたまたま授業が休みで、代わりに数学の(清先生の)特別授業があったのだが、周りの(夏が近づくような)浮足立った光景だけはかなり鮮明に覚えている。
(特別授業の、休日な雰囲気からか)授業が終わった後に、「ラーメン食いに行こうぜー」とか「午後遊びに行こうぜー」的な声が聞こえてきてかなり腹が立った。
確かに他人のことなんか自分には関係ないのだが、それでも気になるものは気になる(特に浪人時代は悪い意味で周りがかなり気になった)。
私は共学の普通の公立高校出身だったため、クラスに高校の友達は一人もいなかった。
しかし主に有名私立男子校出身の人たちは友達だらけだったので高校の時のノリのまま浪人を過ごしていた(ように私には見えた)。
それゆえ、その高校のまじめに勉強したい人たちはちょっとやりずらそうにしていた(ように私には見えた)。
のちに現れだすのだが、今回のように放課後遊びに行ったり、授業を休んで自習室にこもったり、ほかのクラスの授業にもぐったり。。こういうことする超進学校出身の人たちの多くは、最終的には(少なくとも私のクラスの人たちは)私より偏差値が下の大学に行ったり二浪したりしていて本当に気分がよかった(浪人終わりの私はかなり性格が歪んでいたので心の底からこう思っていた)。
私は一秒でも多く勉強していないと気が済まないタイプの神経質人間だったので、外食する時間さえもほとんどとらなかった(この性格が良かったのか悪かったのかはわからない)。
今日の一言:夏前の浮かれた雰囲気は、ぐっとこらえて地道に勉強しよう
個人的にはこの時期はかなりきつかった。浪人生のつらい時期は人それぞれだと思う。それでも机に向かうことをやめてはならない。どんなにはかどっていないように思えても、2月の本番の日に1%でも役立つことを吸収しようと思って勉強し続けたこの時期は意味があった気がする。
駿台に慣れてきた五月 Part2。
この時期から本格的に良い意味でも悪い意味でも予備校に慣れてきて、ふと考え始めたことがあった(気がする)。
浪人って結構長い。。?
3月、4月はメンタル的にもバタバタしてて気が付かなかったが、現役での勉強に続き、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、1、2月もずっと勉強。。とか冷静に考えてみたら発狂してきた(気がする)。
今日の一言:手帳を有効活用しよう
自分の当時使っていた手帳を改めて見てみると、その日の反省や予定、一週間での目標や課題が詳細に書かれていた。
できる限り日常を分割して過ごしてみると毎日が短かったので、長いと感じる日がなくなっていった。
逆に手帳を使っていなかった時期はかなり長いように感じた。
ちなみにこの月に受けた駿台判定模試と全国模試はどちらも東大D判定だった。
*質問や悩み回答します!どんどん送ってきてください!
駿台に慣れてきた五月 Part1。
五月といえば初っ端から何があるか。GW(ゴールデンウィーク)である。
駿台にはもちろんGWの休みはないのだが、世間の人はそうではない。
毎朝見るニュースではGW特集が取り上げられ、街中の人もGW+夏が近づいてくることで浮足立っていた(ように当時の浪人生の私には見えた)。
浪人生はこのあたりから予備校での生活にも慣れはじめ、気が抜けはじめてしまう人たちも出はじめる(いわゆる五月病っていうやつかも)。
よく言われることだが、五月のこの時期は浪人生のメンタル的にも一つ大事な時期な気がする。
今回の一言:浪人生活では季節ごとのイベントに極力参加しないようにしよう。
これからの季節も、季節ごとに楽しいイベントがやってくるのだが、そんなことに気を取られているのは時間がもったいない(と私は思っていた)。
解決策としてはSNSを極力やらない、ということ。私のようにアカウントをすべて丸々削除する、とまではしなくていいかもしれないが(私としては消してよかったことの方が圧倒的に多かった)、せめて画面から削除して、見たいときだけインストールして見る、といったことをすべき。
高校生の時のように毎日SNSをするような生活をしていてもいいことない(と私は思っていた)。実際ラインをしなくても余裕で生活できた。
駿台開始の四月 Part2。
ついに授業が始まった。
クラス決めのプレースメントテストはあまりできなかったが、その年は東大クラスの人と京大クラスの人がみんな同じクラスだったので下位クラスというものがなく、救われた。
駿台は毎週席がランダムで変わるのだが、最初に両隣になったW君とK君以外には友達はほぼ作らなかった(いやできなかった)。友達はできなかったが、駿台での授業は案外楽しく、いいスタートを切れた気がする。
やはり東大コースだけあって全国でも有名な講師の方々が教えてくださったので、毎日初めて知ることがたくさんあり、非常に刺激的だった気がする。
一回目のベネッセ駿台記述模試を、授業開始間もなく受けた。東大の判定はD判定。正直年度のはじめだけあって、もっといい成績が出るかなと思ったが、思ったほど東大は甘くなかったようだ。しかし、授業での成果が早くも数学にあらわれた気がして、ちょっと嬉しかった。
(余談だが模試が終わった後に、物理は余裕で満点だわ~、と言ってるやつがいて非常にむかついた思い出がある(私はできなかった)。)
今回の一言:授業の予習復習スタイルは絶対早めに確立せよ。
ぶっちゃけこの一言は最強に重要である。
授業の予習復習をすることは言うまでもないが(実際東大受かっていった人たちはみんなやっていて、逆にもともと頭がよくても予習復習しなかったやつらはみーんな落ちていった。三月になってみれば分かるよ。)、その方法(習慣)を作るのも、とても重要。
〈私の例〉
平日:放課後はその日の教科の復習に徹する。その日の復習が終わってしまったのなら、先週先々週のその曜日の復習を時間のかぎりやる。
土曜日:一週間の授業の教科すべて予習(解いてみる、目を通してみる)
日曜日:予備日。土曜日の漏れをやるのもよし。私はよく苦手科目をつぶすのに使っていた。
とにかく、はじめのうちに試行錯誤をし、はやめに自分の生活スタイルを確立しよう。毎週同じ生活習慣を保つことが浪人を乗り切るうえで大事なことだと私は思う。
駿台開始の四月 Part1。
駿台の入学手続きなどを進めているうちに、あっという間に四月が来た。
このころには遊びたい、だらけたい、といった感情は全くなく駿台でのこれからの生活に備えて、いろいろ勉強法などの本を読んだり現役時の反省点などを考えていたりした。
特に次の本は受験が終わるまで数えきれないくらい読み返した。
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この本を買う必要なんて全くないし宣伝する気も全くないが、多くの勉強法や受験に関する本を読んだ私にとってダントツで役に立った本だったので紹介させていただいた。
反省点は以下のようなもの
1、予習復習などを全くせずにただ問題集などを繰り返していた。
2、夜寝る前ぎりぎりまで勉強をしていて、毎日朝起きるのがつらかった。
3、勉強する科目にばらつきがあり、教科によって点数に差が出てしまっていた。
etc...
今回の一言:こまめに自分を振り返り、整理せよ。
私はだれにも相談せず自分の中で考え込んでしまうタイプだったので、一年間悩みに悩んだのだが、上のことは最後まで本当に意識し続けてよかったと思う(相談する相手がいなかったともいえる)。こんなことを考えているうちに、あっという間に4月14日(駿台授業開始日)が来たのであった。
次回から駿台での生活が始まる。
駿台入学前の三月 Part2。
予備校が決まり、私の浪人生活がいよいよ現実味を帯びてきました。
余談なのですが大阪大学不合格を知った翌日、両親と久しぶりのゆったりした朝ごはんの時間を過ごしているとき、父親の海外への長期単身赴任を知らされました。何か月も前から決まっていたことらしいのですが、受験生の私に気を使い、ずっと黙っていたそうです。当時の私はそれによって不安がやばくなりましたが、今からしてみればこれから始まる一年間の不安で、母親の方がメンタルやばかったかもしれません。私の母親、メンタルまじぱないっす。
話がそれましたが、不合格の数日後、私はもう浪人生を始めました。実は私、高校卒業後の三月、ほぼ勉強しかしてません。友達と遊びにはほぼ行かなかったです。今からしてみれば信じられないことですが、まじでずっと勉強してた気がします。当時誘ってくれた友達にはほんとに申し訳ないです。あと携帯も変えてSNS(ライン、ツイッター、インスタ...)全部消しました。そこから相当長い時間予備校の友達以外と関わりを断ちます。
今回の一言:浪人生は、三月から勉強すべし。
実際三月にめっちゃ勉強したからこそ、スムーズに駿台の授業に入ることができました。私は苦手分野、未習分野(実は物理の原子分野、数学の確率と複素数を放棄して受験しました)中心にやったおかげでなんの不自由もなかったです。浪人生の一年間くらい、こんくらいしてもいいと思います。耐えるのみです。実際めっちゃ病んでました。
駿台入学前の三月 Part1。
高3の卒業式数日前、大学ホームページで私の大阪大学不合格を知りました。
国立行けなかったら浪人しよう、と決めていたので、不合格を知った瞬間予備校をどこにしようか考えはじめました。すでに家にはいくつかの予備校から(河合塾、駿台、代ゼミ..)ハガキが来ていたのでぼーっとしながら読んでいました。ぶっちゃけハガキ送ってくること自体不快に思ったので、この中の塾は行きたくないと思いましたが、どうせ一年間勉強しかしないのであれば高いレベルでやろうと思い、理系ならば駿台と適当に選びその日のうちに駿台に直接説明会を聞きにいき、東大コースに入ることに決めました(うちの高校はあんまり偏差値高くないけどたまたま入れた)。
当時の僕はかなりプライドだけは高かったので、東大に行きたいなんて一ミリも思っていなかったのに東大を目指すことにしました。
この決断が後になって良かったことに気づきます。
今回の一言:目標はめちゃめちゃ高く。プライドだけは高く頑張ろう。
よく謙遜して自分のいけそうな大学を第一志望にする人がいますが、もったいない気がします。私は早慶に引っかかればいいや、と思ったので2ランクくらい上の東大を目指すことにしました。実際目標を高くしたことで凄まじくネガティブな毎日だったのですが、浪人の一年間くらいネガティブを極めてもいいじゃないですか。
とことん悶々としながら机にかじりつくべきだと思います。
自己紹介。
はじめまして。
2017-2018シーズンを駿台で浪人したものです。
このブログでは、
「実践的/具体的に浪人生を助ける」こと
を目的として、記事を更新しています。
なぜなら、
「批判/事実のみを書き、解決策を提示しない記事」
があまりにも多すぎるからです。
行動して初めて、記事を読んだことに意味が生まれます。
だから、読んだら何か行動してほしいです。
ブログの構成
初めの10数記事:具体的な1年間の1か月ごとの記録/日記(萎えた時に読んでください)
それ以降:気づいたこと/ノウハウ/メンタルの保ち方(実践的な内容)
はじめに簡単な自己紹介をしとこうと思います。
・高校は偏差値60ちょい
・理系
・地頭の良さは、下の上くらい
・三人姉妹の長女
・吹奏楽部を3年生7月末に引退
・3年生の夏から本格的に受験勉強始める
・現役時:大阪大学/早稲田理工/慶応理工⇒惨敗
・1年間、孤独・ぼっち⇒萎える
・浪人時:東工大落ちる/早稲田・慶応合格⇒早稲田理工に進学
ブログでは、反面教師or参考にしてください。
それでは次回から、私の1年間が始まります。
2019年3月20日追記:2月編まで完結しました。ぜひ読んでください。