大学生の教養サロン

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数学って、友達んちに行くのと似てる【大学受験】【理系大学生の暇つぶし】

友達んち(家)って、適当にいけば案外たどり着く

小学生の時、友達の家への道って1回か2回行けば覚えた気がします。

 

別に真剣に覚えようとしたわけでも、道に何があったかしっかり観察したわけでもないのに、なぜかたどり着く。

 

当時はただモンスターを狩るために友達んちを目指してました。

 

なぜ僕は友達んちへたどり着いていたのか

道を正確に暗記したわけでもないのに、なぜ僕は友達んちにたどり着けたのか。

 

それは、「連想したから」です。

 

・この角を曲がったらあの店が見える

・たしかあそこらへんの近くだよな

・どっちが見たことある道だっけ

・この景色、見覚えあるぞ

 

通る道で、次に進むべき道をなんとなく連想できたので、なんとなく家にたどり着けてたのです。

 

数学はどうか

数学も、「友達の家に行く」のと似てる気がします。

 

・この文章見たことある

・この式見たことある

・この式変形、前にやったことあるぞ

・なんかあの公式使いそうじゃね

 

初めからゴールが見えているわけではないのですが、進めていくと何となく道が見えてくる気がします。

 

ではなぜ、数学は難しいのか

みんな友達の家に行くことは簡単にできるのに、なぜ数学は出来る人と出来ない人がいるのでしょうか。

 

それは「あんま面白くない(ように見える)」からだと思います。

 

やはり数学は勉強として「やらされている(ように感じる)」ので、あまり乗り気がしないです。

 

友達の家に行けばモンスターを討伐できとても面白いのですが、数学は勉強してもモンスターを討伐出来ないので、あまりやる気がわきません。

 

かくいう自分も、数学はあまり得意じゃないです。

 

じゃあどうすれば数学が出来るようになるのか

ではどうすれば数学ができるようになるのでしょうか。

 

それは僕が聞きたいです。

 

・・という冗談はさておき、「僕がまあまあ数学が出来るようになった方法」を紹介します。

 

それは「とにかく公式を覚える」ことです。

 

友達の家への道は無意識になんとなく覚えられましたが、残念ながら数学の公式は無意識に覚えることは難しいです(いわゆるこれが、才能ってやつです)。

 

僕は勉強が好きじゃなかったので、「友達んちの道」に対応する「数学の公式」を無理やり何百回も頭に入れようとしました(たいていすぐ、頭からこぼれ落ちます)。

 

はい、地獄やんって感じですね。

 

そうです、数学(というより勉強)は地獄です。

 

勉強なんて面白くねえっていう(てい)体で勉強する

勉強を面白いと感じるかどうかは、才能によります。

 

問題を解けることが楽しいと思えるかどうかは、生まれつきによるものだと個人的には思っています(数学の問題が解けることより、モンスターを討伐することの方が楽しいと感じてしまいます)。

 

しかし、この世界は資本主義という残酷な仕組みのため、どんなに勉強が嫌いでも、ある程度できないとダメと言われてしまいます(例:こら、のび太!勉強しなさい!)。

 

なので、「こんなもん”どうせ”楽しくねえだろ」という体(てい)で机に座ります。

 

どうせ面白くないんだから、当然続きません(たいてい10分くらいしたらむずむずしてきます)。

 

それを毎日、毎時間続けます。

 

公式を覚えれば、なんとなく出来る気がする

大学受験(高校受験)にでてくる公式をほぼ全て覚えれば、なんとなく問題が出来るような気がしてきます(出来るかは分かりません)。

 

「どうせ覚えた公式のどれか使うんやろ」という謎の安心感を感じます。

 

数学の教師がそれを聞いたら、ほぼ確で「数学は覚えてやるんじゃない」と否定してきます。

 

なぜなら彼らは「数学が好き&公式は何十年もの経験から頭にしみついてる」からです。

 

残念ながら、彼らに僕たちの「数学おもんねえ~」という気持ちは分かりません。

 

なぜなら、公式は知らないしそもそも数学なんてあんま好きじゃないからです。

 

「友達の家に行く」=「数学」まとめ

・友達んちへたどり着けるのは、道を連想してたから

・数学の公式はごり押しで覚える(友達んちみたいに面白くないので、無意識には覚えられない)

・公式が頭の中に入ったら、初めて数学で「連想する」ことができる

 

ということで、今回は以上です。