【スマホ中毒】なぜ人はSNSが気になってしまうのか【悩み・意見】
ふと、SNSが気になる
何かをしているときに、ふと携帯を開いてSNSをチェックしたくなります。
勉強してるとき、人と話しているとき、外を歩いているとき、夜暇しているとき。
特に緊急の連絡をする必要がないのに、閉じたり開いたりを繰り返します。
1日に接種すべき最低情報量が決まっている
私はこの、SNSがなぜか気になってしまう理由を、「(特に現代の)人が得るべき、1日の最低情報量は決まっているから」と考えます。
例えば「何かしらの感情(怒り、喜びなど)が1つ生まれる情報=1情報」と決めるならば、人は1日に1000情報を得なければ落ち着かなくなってしまう、といった感じです。
情報中毒な現代人
そういう意味では、(特にスマホを持っている現代の)人はみな、情報中毒に近い症状を持っていると言える気がします。
スマホ以前(スマホが普及する前)は1日の最低情報摂取量は300情報だったのに対し、スマホ以後(スマホが普及した後)はそれが1000情報に上がったのではないでしょうか。
逆にスマホを持っていない人(特に高齢の方)は、情報中毒症状が比較的軽いかもしれません(しかしテレビ以前の世代と比べると、スマホを持っていない方も情報中毒レベルは上がっているでしょう)。
なぜ「意味もなくSNSを開いてしまう」と思うのか
当たり前のことを言いますが、人がなぜSNSを開いてしまうことに負の感情を持ってしまうのか。
それは「自分が(SNS開くことを)無駄だと感じているから」です(当たり前やん!)。
SNSを仕事としている人はSNSを開くことに対して負の感情は抱きませんが、たいていの人はそうではないので1mmくらいの負の感情をSNS開くたびに一瞬抱きます(これは主観強めなので共感されないかもしれません)。
しかし私たちは1日に接種すべき最低情報量が決まっているので、SNSを開くことをやめることはできません。
解決策:情報の入れ物をイメージする(皿やコップに情報が入るとイメージする)
そこで「SNSやめられない呪縛」から解き放たれるために、「情報が入れ物にたまっていく様子をイメージする」ことを提案します。(以下、入れ物をコップと表現します)
当たり前ですが、人は1日の最低情報摂取量が決まっていますが、逆に1日の最高情報摂取量も決まっています(無限に詰め込むことはできません)。
情報がコップにたまっていく様子をイメージすることで、自分のコップの中にゴミを入れるor有益なものを入れることを毎回意識できます。
コップ(情報が入ってる)のイメージでどうなるか
コップを意識すると、SNSを見たり意味のないニュースをダラダラ見ているたびに、自分の中にゴミがたまっていく感覚があります。
逆に本を読んだり新聞を読んだりして勉強すると、自分の中に有益なものがたまっていく気がします(まだ22歳なので新聞初心者です、許してください)。
たった1つ、「コップのイメージ」でSNSの時間が少し減り、逆に勉強の時間が少し増えるかもしれません。