大学生の教養サロン

教養と言うよりは、暇つぶしです。

ディズニーが苦手というより、楽しいふりをするのが苦手【陰キャ大学生の悩み】【ディズニーと男】

ディズニーの楽しさを理解しようとしているが・・

僕は男子大学生である。

 

男子大学生は、女性にモテたい生き物だ。

 

女性にモテるためのスキルの1つとして、「ディズニーの話が出来る」ことがあげられる。

 

女性にモテるために僕は、

・ディズニー映画を観てみる

・何度かディスニーに行ってみる

・ディスニーの魅力について、ネットサーフィンしまくる

と言った試みを試し続けている。

 

しかしどうも、ディズニー(ランドやシーの、テーマパークの方)の楽しさを、感覚的に理解できないでいる。

 

ディズニーランド(シー)のコンテンツ自体は、悪くない

ネットサーフィンをすると、ディズニーの魅力の1つとして、「非日常感を楽しめる」、「異国感がある」という説明が出てくる。

 

その魅力に関しては、僕もなんとなくわかる。

 

建物や道から漂うヨーロッパ感(主観)、アトラクションでのディズニーキャラの不思議な感じは、僕は結構好きである(逆に絶叫系は苦手)。

 

例えば、園内全て貸し切りで、僕1人だけ好きなだけ散歩したりアトラクションに乗っていいのならば、僕はとても嬉しい。

 

ディズニーvs僕1人ならば、素直にディズニーが好きだと言えると思う。

 

ディズニーの苦手な点:楽しんでる人と、つまんなそうな人が混沌としている

ではなぜ僕はディズニーが苦手なのか。

 

それは、「広くない園内に、心の底から楽しい人vs心の底からつまらない人がぎゅうぎゅうに詰め込まれている」からである。

 

ディズニーが心の底から好きな人は、もはやその空間だけで幸せな気持ちになれるであろう(それはとても良いことである)。

 

しかしディズニーが好きではない(面白くない)人にとっては、苦痛この上ないのである。

 

その2種類の人たちが、狭い空間に敷き詰められていることで、様々な感情があちこちから感じ取れて、僕は精神的にとても疲弊してしまう。

 

特に気になってしまう部分:携帯ばかり眺めているキラキラ女子

この章は、かなり偏見が入り混じっている文章に感じられる可能性があることに、ご容赦いただきたい。

 

混沌な園内の中でも僕が特に気になってしまうのが、「キラキラ女子たちが、友達と一緒に来ているのに、会話もせずに携帯ばかり見ている様子」である。

 

インスタで、ディズニーのキラキラ投稿をよく目にする。

 

その投稿では、「○○ちゃんといると、マジで1日中笑ってる! 1日あっという間過ぎた笑笑 今日はありがとう☆彡(キラキラ絵文字がなかったので、古臭い絵文字を使用した)」的な書き込みがされている。

 

しかし実際にディズニーを観察してみると、そのような投稿をしそうな子たちは、ずっと携帯を見ているのである(もちろん、僕が見ている投稿の主と、実際に園内にいる子たちは別人なので、一概にそうとは言えない)。

 

この、「切り取られた現実」を目の当たりにすることが、僕にはどうも苦痛で仕方がないのだ。

 

じゃあ行くなよ、という話

そんなにディズニーが嫌なら、行かなければいいじゃん。

 

全く持ってその通りである。

 

しかし日本には、「1日しっかり遊ぶなら、ディズニー」という風潮により(そんな風潮ないと感じる人もいると思うが、そう感じる人も一定数存在する)、「(本当はディズニー好きじゃないんだけど、断り切れなくて仕方なく)ディズニーに行く」人が生まれる(ディズニーに行く人は、結構こういう人が多いのではなかろうか)。

 

また先述したが、キラキラ女子にとって、もはやディズニー(の投稿)は義務感に近いのではないか、と僕は思っている(さすがに偏見に満ちた言い回しです すみません、、)。

 

その結果、先述した「広くない園内に、心の底から楽しい人vs心の底からつまらない人がぎゅうぎゅうに詰め込まれている」という構図が生まれてしまう、と僕は思う。

 

本題:僕は楽しいふりをするのが苦手である

ここでようやく本題に入る。

 

本題は、「陰キャの僕は、楽しいふりをするのがどうも苦手である」こと。

 

中学、高校の頃から薄々と感じていたのが、「陽キャ≒楽しいふりをするのが得意な人」ということである。

 

僕:楽しいふりをするのが苦手(疲れてしまう)→僕:陰キャ ということを、17歳くらいの時に理解した(気がする もっと後かも)。

 

前提:楽しそうな人の周りは、楽しくなる

そもそもの話だが、周りをハッピーにできる人の重要な要素として、「(いつもなぜだか分からないが)楽しそうな人」が挙げられる。

 

逆に、いつも面白くなさそうな人の周りは、つまらなくなってしまう。

 

僕はどちらかと言うと後者の部類に属している。

 

楽しい時は楽しいが、面白くない時はハッピーにふるまいにくい(できるだけ楽しそうにふるまおうとはしているが、これがなかなか難しい)。

 

楽しいふりが上手ければ、ディズニーもそこそこ楽しめる

以上から、「陽キャ(楽しいふりが上手い人)はディズニーを楽しめる(ように見せられる)が、僕は陰キャなので楽しめない」という現象が起きる。

 

なお、これはディズニーが面白くないということではない(好き、嫌いと言う感情は感覚の問題なので、論理じゃどうしようもない壁がある 僕が好きなことも、他の人に取ったら何も面白くないことも沢山ある)。

 

僕が陽キャなら、こんな記事は書いていない。

 

結論:混沌とした園内&陰キャの僕

ディズニーの苦手な点

・混沌とした(様々な感情が渦巻く)園内

・切り取られた現実の裏側(例 携帯を眺めるキラキラ女子)

 

僕の問題

陰キャ

・楽しいふり苦手(疲れてしまう)

 

ディズニーは3年に1度でいいな。