本番の2月。
ついに受験が終わる2月がやってきた。
朝ごはんが、緊張でのどを通らなくなり、常に心臓バクバクな緊張状態が続いた。
でも私は本番が来てほしくない、とか本番に向けてマイナスな感情はあまり持ってなかった気がする。
なぜなら、それまでの浪人生活で限界まで勉強し続けた、という自信があったし、なにより長かった受験が終わるという喜びが大きかったからだ。
2月9日 受験一日目の東京理科大。
去年合格した、という自信から対策は一切せずに受験した。
この日が今回の受験で最悪なコンディションな日だった。
余裕をかまし、前日も早く寝ずに寝不足なまま受験してしまった+緊張が重なってやばい頭痛の中で受ける羽目になった。
さらに、理科大の問題は(特に物理が個人的に)早慶レベルに難しいのに加えて、たまたま隣に座った男が貧乏ゆすりと独り言が多い典型的な迷惑ボーイであったことから、災難に災難が重なって、全くできなかった(正直体調良くても実力的にできなかったかもしれない)。
しかし、一発目の理科大で体調管理の大切さを知れたのは、結果的に良かったのかもしれない。
多分落ちたな、と思った。
2月12日 受験二日目の慶応理工。
慶応理工は去年落ちたこともあって、過去問を3年くらい解いてしっかり対策して臨んだ。
たしか一発目が理科だったのだが、そこでいきなりつまずいた。
物理が鬼難しく、物理は余裕だろ、とたかをくくっていた私は、完全に撃沈した。
もう無理、とか思いながら残りの英語と数学を解いた。
一年前に難しく見えた問題は、やはり一年必死で勉強しても、難しく見えることに変わりはなかった。
2月13日 受験三日目の慶応経済。
今回は経済も受けた。
理由は、英語数学小論文で受けれたことと、慶応理工に受かる自信がなかったから。
経済の英語と数学は、前半が一定以上できていないと、残りは採点されない的なつくりなので、そこは緊張した。
なんかよくわからなかったが、あまり手ごたえはなかった。
今回も落ちたな、と思った。
2月15日 明治センター利用合格。
私と母はかなりほっとした。
というのも、言ってなかったが、国語の撃沈のせいで、数日前理科大のセンター利用に落ちていた+明治の一般受験をさぼったことで私の頭の中でかすかに(全落ちによる)二浪が頭をよぎっていたからだ。
母は安心して泣いていた。
現役の時余裕で受かっていたところに、一浪を経た後で合格をもらって涙が出る、とは思いもしなかった。
一浪しても、余裕なんて全く生まれない、と思った。
2月16日 受験四日目の早稲田理工。
今回も去年と同じ教室で受けた。
今回は、全体的に去年受けた時より簡単になっていて(実際易化したらしい)、数学の受験中帰ろうと思った去年と比べて、手ごたえを感じた。
かといって、余裕をもって問題を解いていたわけではなく、わからないながらも、なんとか答えを出せる問題が増えただけであって、確実に正しいだろう、という問題は少なかった。
帰りは、去年と同じく、早稲田通りを受験生の大群のなかを早歩きで帰った。
残すは東工大のみとなった。
2月22日 理科大一般+慶応理工合格発表。
この日は二つ合格発表があった。
母と一緒に朝9時?くらいに一階のリビングで合格発表を見た。
慶応理工は
不合格。
補欠でさえないのか、と思った。
つぎに理科大を見た。
さすがに受かってるだろ、と思った。
不合格だった。
正直もう終わった、と思った。
母はきまずそうにしていた。
とても申し訳なかった。一年間一日も休まず私を起こし、ひとことも文句を言わず、なんでも私の好きなご飯を作ってくれてサポートしてくれたのに、不合格。
もうあとにはひけない、と思い私は二階に戻り、勉強を再開した。
2月24日 慶応経済合格発表。
二日前の不合格からとても長かった。
当然集中できなく、前日も眠れなかった。
9時、例のごとくリビングで母と一緒に合格発表を待った。
母は、もう明治で十分だよ、と私に気を使って気にしないふりをしてくれていた。
結果は合格だった。
今まで慶応の合否の画面で不合格しか見たことがなかったから、何度も確かめたが、合格だった。
私と母はもうこれで終わりだ、と言いながら泣いた。
その日はもう勉強せずに、コンビニにジュースを買いにいった。
久しぶりの外出だった。
2月25.26日 受験最終日の東工大。
私は二日目の帰り道、早稲田の合格発表を見ようと思って、携帯を開いたら、母から早稲田受かったよーとラインが入っていた。
東工大は数学があまりできなかったが、そんなことはもはやどうでもよかった。
私は帰り道、もう一生受験勉強しなくていいんだ、と思いながら武蔵小杉駅で電車を待っていた。
たまたまめちゃめちゃ天気が良い日だった。
今回の一言:一年半、長かった